人生の車、成長、今思えば

私の生まれは都内、ある程度有名な町である。
3世帯住宅の一部で生活をしていたが私の家庭には車がなかった。
しかし週末になると祖父がよく車でレストランに連れていってくれたのをよく覚えている。
祖父は会社を経営しており裕福であった。
そのクラウンには当時では珍しい衛生電話、今のオンダッシュナビと同じくらいの大きさのカラーテレビなど色々なアクセサリーが装備されていた高級車だったが、その時はその車が普通のものと思っていた。
そのあとすぐに会社の業績は悪化し澄んでいる家には車がなくなり、3世帯は散ることとなった。
私の一家は離婚し母と兄と3人でアパートに住むこととなった。
その時は16歳である。
すぐにバイクに免許を取得し自転車からバイクに。
18で車の免許を取得し友人から20万でマーク2を購入。
BBSの幅215の太いホイールを履き、電動で動くレザーシートに感動したのを覚えている。
免許取得後間も無くの下手くそな運転で友人と日夜ドライブで遠出を楽しんでいたが、季節は冬、ある時富士山までドライブをし、最初はハラハラしていたが、山道のアイスバーンなどこんなものかと車を持たない友人を乗せたドライブを楽しんでいた帰りの山下りでスリップ。
ガードレールを突き破り車体はかろうじて引っ掛かっているものの今にも崖から落ちそうな状態。
とりあえずは車から降りることが出来、親切な通りすがりのジープがボンネットがくの字に曲がったマーク2を引き出してくれた。
自走は出来たので慎重に山を降り、高速に乗る。
渋滞に差し掛かり、疲れていたのかブレーキを踏んでいたはずの足が離れて、アイドリング走行で10㌧車に衝突。
ボンネットはさらに曲がり、ミラーがとれてしまった。
トラックの運転手に謝ろうとおたおたしているとトラックは見知らぬ顔でいってしまった。
マーク2は見るも無惨な姿なのに関わらず、ぶつかったことすらきずかれなかった。
足立区の車のスクラップ工場に行き工員の人にコーヒーを手渡し同じ型のマーク2のミラーとボンネットを譲り受ける。
自宅で作業しどうにか装着。
それから3か月後に慣れてきた運転に山手通りでドリフトUターン失敗、中央分離帯に乗り上げ頭を強打。
その衝撃でどうやら足回りがおかしくなってしまったようだ。
後日オイル漏れ、ランプ点灯で補充するも1時間もたず。
廃車を決意し7月の大雨の日に曲がったタイヤ、オイル無しで関越に乗った。
格安で廃車をしてくれる業者は寄居町の工場だ。
外環の大泉から乗り、関越の合流でスリップし壁に激突。速度は70キロだった。
車体はまたまた曲がったがまだ走れた。
日本車はとても頑丈だと思い、ハザードをつけながら2時間。
はなぞのインターに無事到着し廃車が完了した。
その後3台の車を購入したが2台目は盗まれ、3台目購入すぐに免取り。
今の4台目は大事に丁寧に、免許も傷がつかぬよう気を使って運転している。
今思えば涙あり笑いありの、車のエピソードはどれをとっても素晴らしくいい思い出だ。
面白い人生にするなら車は必須の乗り物である。

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